日常の喧騒を離れて江戸情緒溢れる街並みを散策できる岐阜県中津川市の馬籠宿を散策してきました。江戸時代の五街道の一つである中山道の宿場町で、江戸時代の記憶を残す石畳が敷かれた美しい街並みの風景と、厳しい冬を象徴するような雪景色がとても綺麗です。
記事内の目次
江戸情緒溢れる中山道木曽路の街並み 馬籠宿
中山道木曽路とは?
中山道は江戸時代に整備された五街道の一つで、南回りで太平洋沿岸を通行する東海道に対して、北回り・内陸経由で江戸の日本橋と京都の三条大橋(現在の東京都と京都府)を結ぶ全行程540kmの街道となっています。
冬場は寒さが厳しく歩行が困難になるほどの降雪がある他にも、中山道には碓氷峠越えや和田峠越え、「木曽のかけはし」通過などの難所があったにもかかわらず往来は盛んでした。
その理由として、橋が架けられていない大井川や安倍川などでは川越人足による川越し以外は認められなかった他、江戸幕府による「入鉄砲出女」の取り締まりが厳しかった事が挙げられています。
また、中山道の旅籠は東海道よりも2割ほど安かった事から、これらを避けてあえて中山道を選ぶ者が多かったとされています。
そのうちの現在の長野県と岐阜県にあたる木曽地方を通る部分を木曽街道または木曽路とも呼び、上四宿、中三宿、下四宿からなる11の宿場が設置され、その総称を木曽十一宿とも呼ばれています。
江戸情緒溢れる馬籠宿の街並み
馬籠宿は長野県阿智村と岐阜県中津川市にまたがる木曽山脈の名峰、恵那山を真正面に一望できる自然豊かな峠道に作られた宿場町です。
恵那山は日本百名山及び新・花の百名山に選定され、恵那山の古名が由来になっている胞山県立自然公園に属している山です。
東北学院の教師となって宮城県仙台市に1年間ほど赴任していた際に「若菜集(わかなしゅう)」を執筆した島崎 藤村(しまざき とうそん)の生家が馬籠宿にあります。
島崎家は代々馬籠宿の本陣を務め、明治維新後に宿場制度が廃止されるまでは藤村の父親である正樹が本陣当主を務めていました。
度々起こった大火によってほとんどが焼失してしまいましたが、現在は生家があった跡地に島崎藤村記念館が建てられています。
石畳みが敷かれた街道を挟むように江戸情緒溢れる町並みが広がる馬籠宿は、慶長6年(1601年)に宿場町として整備したと推定されており、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒、家屋数69軒、人口717人で成り立っていた事が記録されています。
馬籠宿が宿場町として成り立ってからは、度々大火に見舞われて町屋のほとんどが焼失し、石畳や枡形、水路を残してほとんどの建物が昭和初期の家屋に建て替えられています。
この地が山の尾根にある事から水に恵まれておらず、一度火災が発生するとたちまち燃え広がっていた事が、大火の原因であった事が挙げられています。
馬籠宿のシンボルにもなっている水車は、水力発電1号機と名付けられており、水路から引いた水を利用して実際に発電を行っているのだそうです。
私が訪れた日が大晦日であった事から、ほとんどのお土産屋や飲食店が開かれる事はありませんでしたが、五平餅や蕎麦、おやきなどが名物なのだそう。
次回訪れる時は、馬籠宿の食も楽しんでみたい。
ほとんどの宿場町の跡が近代化された街に移り変わっていく中で、ここが復元された町並みだとしても、未来に残していきたい宿場町であると感じます。
年末という事で、訪れている観光客はまばらでしたが、古い町並みが残る馬籠宿と厳しい冬を象徴するかのような雪景色を見に、是非一度でも訪れて欲しいと思えるような観光名所でした。
冬の馬籠宿の映像
【6K 】 冬の馬籠宿 江戸情緒溢れる中山道木曽路の町並み
中山道木曽路の宿場町である馬籠宿を散策しながら撮影した映像です。
6K解像度で収録した映像ですので、大画面テレビ等でもお楽しみください。
馬籠宿 交通アクセス・時間・駐車場情報
所在地 | 〒508-0502 岐阜県中津川市馬籠 |
時間 | 24時間 |
入場料金 | 無料 |
駐車場 | 下入口付近駐車場(無料) A-1 A-2 島田公園駐車場P 大型P ・上入口付近駐車場(無料) B-1 B-2 B-4 B-5.6.7. |
交通アクセス | 中央自動車道 中津川ICから車で23分 |
関連ウェブサイト | 馬籠観光協会 中津川観光協会 馬籠観光協会 facebookページ |
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