宮城県宮城郡松島町の高城川は、品井沼干拓の排水路として江戸時代から明治時代にかけて建設された川で、鶴田川が吉田川サイフォンを経由して吉田川の下を潜り、高城川と名称を変えて松島湾に注ぎます。吉田川サイフォンから明治潜穴の区間 約2kmにはソメイヨシノの桜並木があり、毎年4月になると川沿い一帯に美しい桜の花が咲き誇ります。
記事内の目次
宮城県の隠れた桜の名所・高城川の桜並木
品井沼を水害から守った高城川の歴史
宮城県大崎市から松島町まで広がる仙北平野は低地や丘陵地で構成されていて、自然堤防で区切られた鳴瀬川の南側には吉田川や鶴田川が流入して形成した沼地である「品井沼」がありました。 品井沼の水は小川を通って鳴瀬川に合流して松島湾へと流れていましたが、大雨などで増水すると鳴瀬川の水が品井沼に逆流してしまうため、雨期になると品井沼地区は度々大水害に見舞われていたそうです。
この水害から品井沼地区を守ろうと1673年から始まった事業が品井沼干拓で、1977年の「干拓事業終了宣言」が出るまでの約300年間もの長い年月をかけて干拓が行われていました。
干拓事業が始まった初期の頃は、品井沼の水を松島湾に流す手法として、長さ2578mの2本のトンネルを約5年の歳月をかけて堀った「元禄潜穴」が作られましたが、堆積した土砂が元禄潜穴のトンネル内で詰まってしまい、流れが悪くなって6回もの大改修を行ったそうです。
それでも詰まりは解消されなくなった事から水の流れはさらに悪化し、大雨が降る度に再び大水害が起こるようになりました。
そこで新たに水路を作る計画が立ち上げられ、幅15mから40mの川を掘って再び松島湾に品井沼の水を流す工事を開始、それが明治39年に着工して4年の歳月をかけて作られた人工の河川である明治潜穴と高城川となります。
さらに吉田川を品井沼から切り離す工事や、鶴田川が吉田川の下を潜り高城川に流れるようにした「吉田川サイフォン」を作るなどして、昭和52年に工事の終了を告げる「干拓事業終了宣言」が出されてからは、大きな水害の無い町になった歴史があります。
国道346号線から見る高城川の桜並木
三陸縦貫自動車道の松島北インターチェンジから鹿島台方面に抜ける国道346号線沿いに高城川の桜並木があります。
この道をよく利用している地元の方々は、春に桜の花が咲くことをよく知っていますが、一般的には宮城県内でもあまり知られておらず、市内沼干拓と高城川の歴史を後世に伝えるために整備した明治潜穴公園の北側にこの桜並木があります。
植樹された時期が不明なため、桜の樹齢についても伝えられていないようですが、大きく枝を伸ばして空を覆いつくすように花を咲かせる見事なソメイヨシノが、国道346号線の隣を流れる高城川沿い800メートルほどを美しく彩ります。
明治潜穴公園から桜並木の端までは約2kmほどあるのですが、公園側は桜の木がまばらなので、主に見どころとなる場所は北側800メートルになります。
高城川の桜並木の下でお花見をする人も
車通りが少なく、割と自由にお花見を楽しむことが出来る場所になっているため、地元の方を中心に散歩やシートを広げてお花見を楽しんでいるような人も多く見受けられました。
高城川の側にある水辺公園には10台程の車両が停められる駐車場もあるのですが、駐車枠の白線が全く見えなくなっている事もあって、実際には5~6台ほどしか駐車できない場合が多いです。
地元の人がほとんどだと思いますが、桜の木の下に車を駐車して、その横でシートを広げてお花見を楽しんでいる人が多かったようです。
写真などを撮影して楽しむ分には少々物足りないような桜並木になっていますが、ゆっくりと時間が過ぎる雰囲気の元でお花見を楽しむ分には良い場所であると感じました。
高城川の桜並木 関連動画
宮城県松島町 高城川の桜並木
高城川の桜並木は佐沼街道を通行している時に偶然発見した場所で、車の中から見た桜並木にはとても迫力がありピンク色の美しい景色が広がっていました。
2013年撮影。
高城川の桜並木 所在地や交通アクセス情報
所在地 | 〒981-0205 宮城県宮城郡松島町幡谷富田 |
期間 | |
時間 | 24時間 |
駐車場 | 無料 明治潜穴公園または水辺公園付近 |
交通アクセス | JR品井沼駅から徒歩30分 松島町営バス 北松島線 富田地内 下車 三陸縦貫自動車道 松島北ICから車で6分 |
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