2011年3月11日に東北地方と関東地方を大津波が襲った東日本大震災が発生した当時は、宮城県仙台市宮城野区の蒲生地区に住んでいました。
北側にはフェリーなどが就航している仙台港があり、南側には宮城県仙台市と多賀城市を流れる二級河川の七北田川が流れ、東側には野鳥も飛来する蒲生干潟がある沿岸部にある地域です。
都市部から離れた地域ではありますが、近隣には三井アウトレットパーク等の大型商業施設や仙台港中央公園などもあり、車さえあれば割と不便はしなかった地域でした。
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、3~4メートルの大津波が襲い、同地区に住んでいた3000人の住人のうち、約150人の方々がこの地で命を落とし、1500棟の家屋が全壊または半壊の被害を受けました。
私がこの地に移り住んでから約3年目の事でしたが、今まで聞いた事も見た事も無いような大津波に襲われるとは思っていなかったのですが、自宅は全損の被害を受けて家財のほぼ全てが浸水の被害を受けてしまいました。
蒲生地区の遺体捜索や瓦礫の一時撤去がある程度終わって、復興への第一歩が検討され始めていた4月20日頃、震災前から蒲生地区に春を知らせていた桜が満開の花を咲かせていました。
住宅地の一角にあった桜の木だったせいか、地域住民以外にはあまり知られる事はありませんでしたが、何故かこの一角だけが嵩上げされていて、道路に沿って人工的に桜が植えられていたのです。
3メートルを超える大津波を受けて瓦礫による損傷や塩害の被害を受けているにもかかわらず、瓦礫に埋もれながらも美しく花を咲かせた桜の木からは力強さも感じられました。
蒲生地区は全壊地域に指定されると共に、居住禁止区域への指定も検討されていましたが、東日本大震災後のに満開の花を咲かせてくれた桜の木は徐々に樹勢を弱めて、翌年以降には全ての木が花を咲かせないまま伐採される事が決定していました。
その後の蒲生北部地区は、住宅が新たに建てられない災害危険区域に指定され、住民の集団移転と跡地を産業用地に転用する計画が立てられました。
2011年4月に最後の花を咲かせた蒲生地区の桜は動画でも残しておりましたので、区画整理によって二度と戻らなくなった過去の風景を動画でもご視聴いただければ幸いです。
また、津波被害を受けて全壊となった家屋とその後の事については、下記関連記事カードリンクにて記事に記しています。
2011年3月11日に東北地方と関東地方を襲った東日本大震災で多くの人命が失われて、沿岸部の多くの住宅は大津波の被害を受けて全壊になる、未だに経験した事の無い自然災害に見舞われました。 私自身も津波被害を受けて被災しておりますが、今まであまり話をした事が無かった当時の事について振り返る事にしました...
この記事へのコメントはありません。