2011年3月11日に発生した東日本大震災で、東北地方の太平洋側沿岸部は巨大津波の被害を受け、大勢の尊い命と多くの家屋が失われました。同じく沿岸部にあった宮城県名取市の仙台空港も、津波による浸水被害を受けて、2011年4月13日から行われた臨時便の運航まで、民間の航空機が発着できない状態が続きました。
そこで大活躍をしていたのが、宮城県の隣県である山形県の山形空港です。
東北地方太平洋沖地震で仙台空港が使用不能となった事で、花巻空港や山形空港に東京羽田空港行きの臨時便を設定し、同じく運休が続いていた東北新幹線の代替輸送機能として重要な役割を担いました。
全日本空輸は2002年10月31日に東京羽田空港行きの路線を休止して、山形空港からは完全に撤退しておりましたが、2011年3月29日から中部国際空港セントレア行きと大阪国際空港(伊丹空港)行きを期間限定で就航。
空を通じて希望や有機の芽吹きを届けたいという思いから、「こころをひとつに、がんばろう ニッポン」のロゴを一部の機体に入れて運航を行っていました。
本来は山形空港に就航していなかったAIR DOも同年3月29日より、札幌千歳空港行きの臨時便を設定し、交通網が寸断された被災3県の空の便として活躍をしました。
また、AIR DOに社名が変更される前の正式な社名である北海道国際航空の英語名、Hokkaido International Airlinesのロゴが入った、旧塗装のボーイング737-500で運航をしていました。
山形空港発着の便を、日本航空インターナショナルでの運航から、子会社のジェイエア(J-Air)の機材である小型リージョナルジェットでの運航に切り替えていたため、2010年10月30日に山形から撤退していたマクドネルダグラスMD-90-30が再就航。
東日本大震災で退役が2ヶ月先延ばしされていた、元・日本エアシステムのエアバスA300-600Rと共に、黒澤レインボーとして親しまれてきた元・JAS機のMD-90が大活躍していました。
T字尾翼とリアエンジンが好きな人は、ボーイング727とマクドネル・ダグラスMD-80/90を代表として答える方が多いと思いますが、2013年3月のMD-90全機退役前に見る事が出来て良かったと思います。
山形空港 日本航空 マクドネル・ダグラスMD-90-30の着陸 JA8063 元日本エアシステム「レインボーカラー3号機」
山形空港 日本航空 マクドネル・ダグラスMD-90-30 JA8063の離陸 JA8063 日本エアシステム 元黒沢レインボーカラー3号機
東日本大震災の時は、日本各地から温かいメッセージが届けられていましたが、あの時の気持ちってどこに行ったんですかね・・。
今のSNSを見ていると、おかしくなったのか、元々の日本人の本性だったのか・・。正直な所、次の大災害は乗り越えられないような気がします。
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