江戸時代に整備された奥州街道の72番目の宿場町として栄えた富谷宿。その面影を今に伝える宮城県富谷市のしんまち地区では、歴史ある商家や旧家が立ち並ぶ街並みを散策する「しんまちめぐり」が楽しめます。今回は、内ヶ崎酒造店(本陣跡)や脇本陣跡、熊野神社など、富谷宿の歴史と見どころを写真とともに紹介します。
江戸時代の五街道の一つ 奥州街道と富谷宿
写真:富谷市民俗ギャラリー
五街道とは、江戸時代に徳川幕府が江戸日本橋を起点として整備した東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中の5つの主要街道で、各地を結ぶ交通や物流の重要な役割を担っていました。
その一つである奥州道中は、江戸日本橋から下野国宇都宮(現在の栃木県宇都宮市)まで日光街道と同じ道を通り、宇都宮から分岐して陸奥国白河(現在の福島県白河市)へと続く街道です。幕府が直接管理した奥州道中は白河まででしたが、さらに北へ続く仙台道や松前道なども広い意味で奥州街道と呼ばれ、江戸と東北地方を結ぶ重要な交通路として利用されていました。
1601年(慶長6年)、仙台藩祖の伊達政宗が仙台城と城下町の建設を始めると、奥州街道も仙台城下を通るように整備されました。しかし、仙台城下から現在の宮城県黒川郡大和町にあたる吉岡宿までの道のりが長かったことから、1618年(元和4年)に伊達政宗が内ヶ崎筑後(後の内ヶ崎織部)に命じて新たな宿場町の整備を進め、1620年(元和6年)に吉岡宿から独立した宿場として正式に発足したのが富谷宿の始まりです。
奥州街道72番目の宿場町とされる富谷宿は、七北田宿と吉岡宿の間に位置し、参勤交代の大名や旅人、物資を運ぶ商人などが行き交う交通の要衝として発展していきました。
富谷宿の面影を残すしんまちめぐり
こちらは、しんまちめぐり専用駐車場に設置されている散策案内図です。富谷宿の歴史に触れられる見どころやおすすめの散策コースが紹介されており、初めて訪れる方でも観光スポットを巡りやすくなっています。
案内図では富谷市民俗ギャラリーが散策コースの後半に記載されていますが、個人的には最初に民俗ギャラリーで富谷の歴史や宿場町の成り立ちを学んでから、しんまち通りを散策すると、より一層楽しめるのではないかと感じました。
まっすぐに延びるしんまち通りは、かつて奥州街道の富谷宿として栄えた歴史ある通りで、沿道には内ヶ崎酒造店や脇本陣跡、旧佐忠商店などの歴史的建造物が現在も残されています。
宮城県富谷市の観光スポットとして知られる「富谷宿 しんまちめぐり」は、江戸時代の宿場町の面影を残す美しい街並みや、昔ながらの商家が織りなす歴史的な景観を楽しめる散策コースです。建物の外観や細い路地にも当時の雰囲気が感じられ、ゆっくりと歩きながら富谷の歴史や文化に触れることができます。
しんまちめぐり駐車場隣にある内ケ崎家別邸
内ヶ崎家別邸は、内ヶ崎総本家の分家にあたる初代内ヶ崎文之助によって明治時代中期に建てられた邸宅で、敷地内には回遊式庭園が設けられています。
約3,500㎡の広い敷地には桜や楓などが植えられ、春の桜や秋の紅葉をはじめ、四季折々の美しい景色が楽しめる庭園となっているそうですが、残念ながら一般公開はされていないため、外観からその雰囲気を感じることしかできません。
歴史ある建物と庭園がどのように調和しているのか興味深く、機会があれば一度は庭園の内部も見学してみたい場所です。
富谷の歴史を知る 富谷市民俗ギャラリー
富谷市民俗ギャラリーは、2018年7月にオープンした富谷市まちづくり産業交流プラザ「TOMI+」の3階にある歴史資料館です。
旧富谷町役場の建物を改修した施設で、富谷市内の遺跡から出土した埋蔵文化財や、奥州街道の宿場町として発展した富谷の歴史を伝える貴重な資料などを展示しています。
富谷宿が誕生した経緯や江戸時代の人々の暮らし、地域の文化について学ぶことができるため、しんまちめぐりの前に訪れておきたい施設の一つです。
御座の間が現存している脇本陣跡
富谷宿の脇本陣跡は、かつて気仙屋と呼ばれた旧家で、江戸時代には本陣に次ぐ格式を持つ宿泊施設として利用されていました。
脇本陣とは、大名などが宿泊する本陣を補助する役割を持ち、主に家臣や随行者の宿泊に使われた施設ですが、状況によっては本陣の代わりとして利用されることもありました。
富谷宿の脇本陣は、1876年(明治9年)と1881年(明治14年)の明治天皇の東北・北海道巡幸の際に休憩所として使用された歴史を持ち、当時の御座の間が現在も保存されているそうです。
通りから眺めただけでは気づきにくい場所ですが、建物の歴史を知ると、宿場町として栄えた富谷宿の重要性が伝わってきます。
ノスタルジックな雰囲気も感じられる冨谷宿
こちらは、1843年(天保14年)創業の「佐忠」が明治時代末期に呉服店として建てた土蔵を改修した「冨谷宿」です。
かつての商家の趣を残す建物は、しんまち地区の歴史資料を展示する資料館や地場産品の販売所として活用されており、白漆喰の壁や重厚な土蔵造りの外観からも、明治時代の商家の面影を感じることができます。
旧佐忠商店の店舗・主屋と門は、国の登録有形文化財にも登録されている歴史的建造物で、昔ながらの街並みが残る富谷しんまちを象徴する建物の一つです。
どこか懐かしいノスタルジックな雰囲気が漂い、富谷市しんまち通りの歴史散策ではぜひ立ち寄っておきたい場所です。
内ケ崎酒造店(本陣跡)
富谷宿の本陣を務めた内ヶ崎家の歴史を受け継ぐ内ヶ崎酒造店は、1661年(寛文元年)に創業した宮城県内最古の酒蔵として知られています。
その始まりは1618年(元和4年)、初代内ヶ崎筑後が仙台藩祖の伊達政宗から富谷宿の開設を命じられたことにさかのぼります。その後、二代目内ヶ崎作右衛門が1661年に酒造業を始め、長い年月をかけて酒造りの伝統を受け継いできました。
かつては参勤交代で富谷宿を訪れる大名などの宿泊所である本陣を務め、現在も歴史ある酒蔵として宮城の地酒「鳳陽(ほうよう)」を製造しています。
門の上には、新酒ができたことを知らせる杉玉が吊るされており、江戸時代から続く酒造りの伝統と宿場町の歴史を今に伝えていました。
富ヶ岡公園に至る恋路の坂
しんまち通りから富ヶ岡公園へと続く「恋路の坂」は、アララギ派の歌人である原阿佐緒と、アインシュタインに学んだ物理学者の石原純博士の恋にちなんで名付けられた坂道です。
原阿佐緒と石原純の恋愛は当時大きな話題となり、二人が人目を忍んで歩いたと伝えられる坂道が「恋路の坂」として語り継がれています。
名前だけを聞くとロマンチックな場所に感じられますが、石原純には妻子がいたこともあり、二人の関係は社会的な批判を集め、石原純が大学を辞職することになるなど、当時としては大きな騒動だったようです。
また、坂の途中には、江戸時代から大正時代にかけて盛んに栽培されていた富谷茶の歴史を伝える茶畑もあります。
富谷茶は、かつて奥州街道を行き交う旅人にも親しまれた富谷の特産品でしたが、その後は生産が衰退し、昭和40年代には栽培が途絶えてしまいました。2017年からは富谷茶の復活を目指すプロジェクトが始まり、歴史ある特産品を再び地域に根付かせようとする取り組みが進められています。
富谷宿入口にある熊野神社
富谷宿の入り口に鎮座する熊野神社は、宿場町が開設された際に、それまで現在地より東側にあった社殿を伊達政宗の命によって宿場の入り口に移したと伝えられています。
そのため、熊野神社がある場所は、かつて富谷宿の入り口として重要な役割を担っていたと考えられ、奥州街道の歴史を知るうえでも興味深い場所となっています。
訪れてみて不思議に感じたのが、神社でありながら鐘つき堂が設けられていることでした。熊野信仰は、神道と仏教が結びついた神仏習合の歴史とも関わりが深く、こうした建造物からも古くから続く信仰の面影を感じることができます。
今回は時間の都合ですべての見どころを巡ることはできませんでしたが、宮城県富谷市のしんまち地区には、江戸時代の奥州街道や宿場町としての歴史を伝える建物や史跡が数多く残されていました。
富谷宿の街並みをゆっくり散策しながら、かつての旅人や商人が行き交った時代に思いをはせてみるのも、しんまちめぐりならではの楽しみ方ではないでしょうか。
富谷市民俗ギャラリーと合わせて、宮城県内で歴史ある街並みや古い建築物を楽しみたい方にもおすすめの観光スポットです。
しんまちめぐり 場所・駐車場情報
| 所在地 | 東北地方|宮城県富谷市富谷新町一帯 |
| 時間 | しんまち通りの散策は自由 ※民俗ギャラリーなど各施設の開館時間・営業時間は異なります。 |
| 料金 | しんまちめぐりの街並み散策は無料 富谷市民俗ギャラリーは富谷市民無料 市外の方は一般・大学生100円、高校生50円、小学生・中学生は無料 |
| 駐車場 | しんまちめぐり専用駐車場(無料) |
| 交通アクセス | 東北自動車道 泉IC・大和ICから車で約10分 仙台北部道路 富谷ICから車で約5分 |
| マップコード | 110 511 478*30(しんまち通り) 110 512 456*65(しんまち巡り駐車場) |
| 関連ウェブサイト | 富谷しんまちプロジェクト |
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