Youtubeアカウントを10年前の1月18日に登録して、Japan Videographyチャンネルの前身であるsironekomilkチャンネルを開設しましたが、同時にチャンネル登録者が2万人を突破いたしました。長期間に渡るご視聴、そしてチャンネル登録ありがとうございます。
記事内の目次
Youtubeチャンネルを開設して10周年
Youtubeチャンネルを開設したきっかけ
Youtubeアカウントを開設したきっかけですが、収益を得たいとかユーチューバーになりたいとか、そんな夢を持っていたわけではなく、面白そうな動画をお気に入りに入れたかったから。ただそれだけだったのです。
アカウントを開設した当初はROM専門で、当時から好きだった花火や観光地の動画、または面白そうな猫の動画を見る専門でしたので、写真や映像が好きだったわけではないんです。
なので、アカウントを開設した当時の動画ってあまり深く考えてない動画というか、何かの記録みたいなそんな感じでした(笑)
当時の動画は、Youtubeの度重なるアップデートで映像のアスペクト比が変更されてしまって上下が押しつぶされてしまったような感じになってしまっていますが、この頃は特別凄い機材を持っていたわけではなく、どこにでも売っているソニーのビデオカメラ1台で撮影していました。
外部マイクや広角レンズを使って撮影するとか、そんな知識も無く、自分が見て感動した瞬間を記録して、その映像をアップロードしている感じでした。
本格的に動画撮影を始めた2010年
この頃から花火の動画撮影を本格的に始めたのですが、この年の一番の記録と言えば赤川花火大会で11年ぶりとなる2尺玉の復活がありました。
過去の打ち上げ失敗により11年間もの長い期間、二尺玉の打ち上げを取り止めていましたが、打ち上げ場所の地権者のご協力の元にサプライズとして二尺玉3発の打ち上げに成功した歴史的瞬間に立ち会えた事は、会場で観覧していた方にとっても記憶に残っているのではないかと思います。
今は日本を代表する花火大会としてすっかり有名になりましたが、主催者の努力や苦労、地権者のご協力や日本の美しい花火を作り上げる花火師の技術が実を結んだ結果が今の赤川花火大会なのではないかと思っております。
そして、日本三大花火の一つである大曲の花火 全国花火競技大会は、初回の開催から100周年を迎えた年でもありました。
この年の大会提供花火は「挑戦~新たなる100年の始まり~」をテーマに盛大な花火を打ち上げています。
花火競技大会なので、これがメインではないのですが、美しい花火を打ち上げる技術を競い合うだけではなく、事故なく安全に花火を打ち上げる技術を磨く場にもなっているのではないかと思いますし、近年全国各地で起こっている花火での事故を減らすための模範となる花火競技大会であって欲しいとは感じております。
2011年 東日本大震災の発生
新たな年を迎えて二ヶ月後となる2011年3月11日には、最大震度7の地震と最大10メートル以上で最大遡上高40メートル以上の大津波が東北地方沿岸部を襲った東日本大震災がありました。
撮影していたのは野次馬根性でも収益目的でもなく、ここに住んでいたからです。
戻りたくても戻れないので、自分の住んでいた場所がどうなっているのかわからない状態が数週間も続きましたし、家財を早めに引き上げたいという気持ちと命があっただけ良かったという気持ちと恐怖が混ざりあって感覚が麻痺していた記憶もあります。
今となっては笑い話になるのかもしれませんが、「大変ですけど頑張って下さい」と声をかけると、「あんたの方が大変だろ」と返ってくるぐらいに近所同士でお互いに大変さがわかっていない状態です。
東日本大震災では多くの景色が失われてしまいましたが、最後の力を振り絞って桜が咲いた場所も少なからずあったという話をたまに耳にします。
仙台市の蒲生地区では瓦礫に埋もれながらも満開の花を咲かせ地域を元気付けていましたが、この姿を最後に塩害で枯死してしまいました。
2011年は東北のみならず全国規模で花火大会やイベントの自粛が相次いだ記憶もあると思いますが、過去に震災のあった地域を中心に自粛から復興支援へと形を変えて次々と開催を表明し、東北地方沿岸部で行われたLIGHT UP NIPPONや東日本大震災の被災児童を招待した赤川花火大会など、全国各地で復興を願った花火が打ち上げられたのです。
そもそも花火大会は、慰霊や悪病退散を祈って花火を打ち上げる目的があり、有名な墨田川花火大会も大餓鬼と疫病での死者の慰霊、長岡まつりでは長岡空襲の犠牲者慰霊や地域の復興を願って行われています。
その事を知っている方々が次々と声を上げて自粛ムードを無くしていったのですが、花火が打ち上がっている最中は日常を忘れて同じ時間に同じ空をみんなで見上げて笑顔になれたのではないでしょうか。
花火以外でも、震災時に被災地支援として避難所でお風呂の提供や演奏会などを行ってきたANAグループによる東北復興支援の一環として、世界初の商業飛行を行ったボーイング787による復興応援フライトが仙台空港と福島空港で行われます。
東日本大震災があったからこそ感じた事でもありますが、写真や映像は過去から未来に残す事ができなかった物の記録、その時にしか見る事のできなかった数々の出来事の記録としても重要な役割を果たしていると感じるようにはなっていました。
2012年から現在まで
花火や風景、飛行機だけではなく、鉄道を撮影してみたりなど、動画を撮る楽しみも増えてきたようにも感じていた時期でもありました。
撮影に出向く範囲も広げて、東北近郊だけではなく関東や甲信越地方各地にも足を運び、地元では味わう事のできない現地の楽しみや文化などにも多く触れる機会が多くなります。
1月と言えば兵庫県を襲った阪神淡路大震災があった事で知られていますが、動画を撮影していた事で地域を超えて様々な人と出会う機会も多くなり、動画での縁もあって阪神淡路大震災の被災地である神戸から毎年宮城に訪れていた南三陸町応援団の一員として参加した事もありました。
今は日本だけではなく世界で活躍しているアーティストもメンバーにいて、当時を思い起こすと凄い貴重な経験をした出来事でもありましたし、この頃から音楽には縁があったんだと思います(笑)
花火でも沢山の方と知り合う事が多かった10年ですが、きっかけは花火ではなく大川の桜並木を撮影していたのが始まりであったりします。
この動画を撮影している人を知っているという事を古くから付き合いのある花火仲間が話したのが始まりで、花火大会に行くと必ず知っている人に会う確率が増えましたね。
また他にも、飛行機撮影をしていた事でDVDを出版した際の撮影メンバーとして参加させていただいた事もありました。
遊び半分で始めた事でも、人との縁のつながりでこんな事までさせていただいた事は本当に貴重な体験が次々と訪れるきっかけとなったのが、全てYoutubeで動画を公開していたからこその出来事ではあったのではないかと思います。
そしてYoutubeで動画を公開して10年目となりますが、10年目を迎えるのと同時にチャンネル登録者が2万人となりました。今までご視聴と共にチャンネル登録をしていただきありがとうぎざいました。
これからもご迷惑をおかけする事もあるかと思いますが、今までお世話になってきた方々への恩返しのつもりで頑張っていきたいと思います。
よろしくお願いします。
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