山形県新庄市の最上公演は、寛永2(1625)年に新庄藩祖の戸沢政盛が築いた新庄城址を都市公園として整備した公園です。現在は、当時の堀や石垣を残し戸沢神社・天満宮・護国神社がまつられており、春にはソメイヨシノやシダレザクラなどの桜の花が約300本咲き誇ります。
記事内の目次
新庄春まつり 新庄城址 最上公園の桜
新庄城とは?
新庄城は、出羽角館城の戦国大名・戸沢氏18代当主である戸沢盛安の子で、戸沢氏第20代当主の戸沢政盛が山形県新庄市堀端町に築城した平城です。
新庄城は新庄藩6万石(のちに6万8200石)の本拠として1625年に築城し、本丸を二の丸・三の丸および2つの堀で取り囲み、その水は城の北側を流れる差指野川(さすのかわ)から引いていました。
築城した11年後となる寛永13(1636)年に、落雷による火災が発生して三層天守は焼失したが、その後に再建される事は無かったとされております。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、尊皇攘夷派が形成されていた久保田藩(秋田藩)に同調した新庄藩が奥羽越列藩同盟から離脱、これに激怒した庄内藩兵と新庄藩兵の間で攻城戦が繰り広げられた後に、新庄城が陥落すると共にその大部分が焼失して同年のうちに廃城となったとされております。
最上公園
建物のほとんどが失われた新庄城址は、その後最上公園として整備される事になりますが、1922(大正11)年に最上公園を造園家折下吉延氏の監修の元で設計し、1930(昭和5)年に心字池が完成した事から、その頃には開園していたのではないかと思われます。
現在は、本丸と二の丸の一部だけが残されているのみですが、公園内全体ではソメイヨシノやシダレザクラなどの約300の桜の花が咲き、濠を囲うように美しく咲き誇ろ桜並木が続きます。
桜並木の外側は二の丸跡となっており、かつては新庄小学校、新庄北高等学校、新庄南高等学校の敷地になっていましたが、その後、小学校、新庄北高等学校はほかに移った事で、新たに市民文化会館、ふるさと歴史センターが建てられています。
訪れた時は、既に桜は散りはじめとなっておりましたが、突然降り始めた雨で花びらが舞い落ちて、公園内の遊歩道を淡いピンク色に染め上げていました。
桜の開花が予定よりも早く咲いた事から急ピッチで新庄春まつりの準備をしている様子でしたが、春まつり開催期間中は、午後6時半頃から午後9時頃まで行燈などが点灯される夜桜ライトアップも楽しめます。
本丸址に戸澤神社、護国神社、稲荷神社、天満神社があり、このうち、天満神社は城を創建した戸沢氏の氏神で、藩政時代から現存している唯一の建造物となっております。
また、新庄藩主戸澤家の始祖・戸澤衡盛と藩祖・政盛の御霊を旧領民が創建した神社で、明治27年5月にこの地に鎮座し、のちに十一代藩主・戸沢正実を合祀し、三方を祭神として祀っています。
突然の土砂降りになってしまった影響で、公園内になる全ての神社を巡る事はできませんでしたが、戸澤神社は、家内安産や事業繁栄、商売繁盛のご利益があるとの事ですので、参拝をする際は護国神社、稲荷神社、天満神社と併せて参拝するのがオススメです。
新庄城址 最上公園 所在地や交通アクセス情報
所在地 | 〒996-0085 山形県新庄市堀端町6−86 |
期間 | 2024年4月17日から5月5日まで |
時間 | 24時間 / ライトアップ 18時30分~21時 |
駐車場 | 無料 春まつり期間中、臨時駐車場200台あり |
交通アクセス | JR新庄駅下車 徒歩20分 東北中央自動車道 新庄鮭川ICから車で3分 |
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